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くだらない話

このブログは、日々脳内に浮かぶあまりにもくだらないことと日々のストレスの根源となりうる事象を書き起こすことで、自己のストレスを発散させる超がつくほどの自己満ブログです。

2年前に入院した時の話


2年前のちょうどこの時期のことである。
仕事中に急激な下腹部の違和感を感じた。激痛とまではいかないが、なんとなくチクチクした違和感を抱えたまま業務を続行した。
なんとか業務を終え、帰宅後に「寝たら治るだろう」と安易な気持ちで床に就いた。
しかしながら一向に下腹部の違和感が収まることはなく、むしろ初期に感じた違和感よりも徐々に強い違和感になっていく。

心配性な私は夜間に診察をしている大病院に出向いた。
そこの大病院で一通り検査を受け、憩室炎という診断を受け入院することになった。

手術を伴うような大きな病気ではないので安堵したものの、入院という人生で初めての経験をすることに若干戸惑いを感じた。
そして上司に一報を入れたりと事務的なことをしてるうちに、「仕事に穴をあけてしまう」と自責の念にかられていた。

しかしながらあと数分もするうちにそのような真面目な気持ちが吹っ飛んでいくことになるとは思いもよらなかった。

私が入院することになる病棟に行き、私はある看護師と出会った。
その看護師は、大きい目が特徴的で屈託のない笑顔と扁平な胸を持つ、まだ看護師になりたての初々しさが垣間見れる23歳であった。

私はふとその時に、なぜ髪型をセットしなかったのか、そしてなぜ適当な部屋着みたいな恰好で病院を受診したのか後悔だけが頭を過ぎった。
そんな私に追い打ちをかけるように、NMB48の「オーマイガー」という曲の「よそいきの顔で会いたかったのに」という歌詞が何度も脳内を駆け巡った。

私は今回の失敗を糧に、どんな些細な病気であっても最悪入院することを視野に入れて、ジャケットスタイルで清潔感のある恰好で診察に挑もうと決意したのであった。

さて、話を憩室炎という病気の内容に戻すが、この病気の治療は投薬治療と絶食であった。
絶食はその文字通り、一切食べ物を口にしてはいけないということであった。
入院生活の4日間で1番辛かったことは、他の患者の食事中の咀嚼音であったり、汁をすするような音が聞こえてくるのが苦痛極まりなかった。

そんな食事の時間は、私は屋上の庭園のベンチに黄昏れに行ってた。
周囲から見れば、重い病気なのかと感じさせるぐらい私には生気がなく見えたのかもしれない。
そんな絶食というストレスを癒してくれたのは、屈託のない笑顔で接してくれた当の看護師さんである。
何気ない他愛のない話から仕事の話など、その看護師さんと話すと絶食の辛さを忘れさせてくれたのかもしれない。
その看護師さんのお陰で、何故か退院したくないという常軌を逸した考えが芽生えたぐらいだ。
本当に私はあの笑顔に救われた思いであった。

私は無事4日間の入院生活で退院することになり、最後の日に「お世話になりました」という一言と併せて私のラインのIDを書いた紙を看護師さんに渡した。
まあどうせ返ってこないだろうと思いつつ、家路についてひと眠りした後に、その看護師さんからラインの友達の追加がされてメッセージがきた。
私は病み明けではあるが、ヒップホップを踊りたい気分になった。

その後なんやかいなその看護師さんと交際することになったが、長くは続かなかった。
私は多趣味だし、休みの日は自分の時間に使いたいタイプだし、あまり構ってあげなかったのが綻びの原因である。

新緑が美しいこの季節になると、入院生活とこの彼女の屈託のない笑顔を思い出すだろう。
今でもどこかで彼女の屈託のない笑顔は、沢山の患者さんの苦痛を取り除いていることであろう。
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